損害賠償命令制度は、被害者参加制度とともに、平成20年12月1日から施行された全く新しい制度です。これまでの制度では、被害者は、加害者に損害賠償を請求をしようとするときは、刑事裁判とは別に、民事裁判を起こさなければなりませんでした。刑事裁判と民事裁判は全く別の手続で、裁判官も異なりますから、いくら刑事裁判で有罪という結論が出たとしても、民事裁判では、被害者が、一から加害者の犯行を証明する必要がありました。ですから、被害者は、自分のお金で刑事裁判の膨大な記録をコピーして証拠として裁判所に提出しなくてはなりませんでしたし、訴訟を起こすために、高い印紙を納めることが必要でした。これは被害者にとって、大変な経済的・精神的な負担でした。
平成20年の少年法改正によって、被害者等が少年審判を傍聴することができるようになりました。 少年(20歳未満の者)が犯罪を犯した場合、その少年は家庭裁判所で少年審判を受けます。少年法が改正されるまで、少年審判は、非行少年の健全育成を期するという少年法の理念の下で、完全に非公開で行われ、重大な犯罪の被害者であっても、その手続を傍聴することができませんでした。そのため、被害者は、犯人である少年について、どのような審理を経て、どのような処分がなされることになったのかを直接見届けることができませんでした。犯罪によって被害を受けた場合に、犯人が成人であったときはその処分を決める刑事裁判を自由に傍聴できるのに、犯人が少年であったときはその処分を決める少年審判を全く傍聴できないというのは、被害者にとっては納得し難いものでした。被害者による少年審判の傍聴を認めるべきであるという少年事件被害者の声を受けて、少年法が改正され、少年審判傍聴制度が設けられたのです。
そもそも、理不尽な犯罪を犯しながら、逃げ回れば訴追されないとすることは、法律家の作り出した理屈であって、一般国民の正義感、倫理観が許容することではありません。重罪を犯した者の逃げ得を許しますと、国民の規範意識を著しく低下させ、道義が地に落ちる危険があります。特に、凶悪事件の被害者は、当然のことながら、絶対犯人を捕まえて貰いたいとの思いが強いものです。犯罪被害者等基本法第3条は、「すべて犯罪被害者等は個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と明記しています。加害者に対して適正な刑罰が下されなければ、被害者等の尊厳は守られませんし、国家が凶悪犯人を無罪放免にすることは、被害者の尊厳を最も傷つけるとともに、国家に対する信頼を失わせるものです。
犯罪被害のうち、最も報道されていない被害は、経済的被害ではないでしょうか。たとえば、40代前半の男性が、路上強盗に刺され、意識が戻らないまま3か月後に息を引き取ったケースについて、被害者の妻と子の立場から考えてみましょう。子どもは2人、高校生と中学生です。愛する家族を失った妻と子に、被害者である夫の入院治療費や、妻が付添いのために勤めを休んだり、退職を余儀なくされた損害がのしかかります。被害者である夫の収入が突然途絶え、妻と子の将来の生活費、子どもの教育費、家のローン等を支払っていくヴィジョンは壊れます。加害者には、預金や不動産等の資産はなく、被害弁償は期待することができません。加害者は、刑務所に入ってしまい、ほぼ無収入になります。