東京高裁判決に対する私たちの考え方

裁判員裁判の第一審判決を覆した東京高裁判決を受けて、東京高検に対し、上告を求める次の意見書を提出しました。

平成25年10月18日

犯罪被害者支援弁護士フォーラム
代 表  杉 本 吉 史

東京高裁判決に対する私たちの考え

 平成25年10月8日東京高等裁判所第10刑事部は、第1審の裁判員裁判での死刑判決を破棄し、裁判官だけで無期懲役を言い渡した。当フォーラムは、下記のとおり、この高裁判決が不当であることを国民に訴えるとともに、判決を言い渡した東京高等裁判所第10刑事部に対し、強く抗議する。

1、事案の概要
 中心となる松戸事件は、被告人が、当時21歳の被害者女性のマンションに侵入し、包丁を突き付け、両手首をストッキングで縛り、現金やキャッシュカード等を奪い、包丁で被害者の首や胸を何回も突き刺すなどして殺害し、奪ったキャッシュカード等を利用して何度も現金を引き出そうとし、翌日再び被害者のマンションに行き、被害者の部屋に侵入して、証拠を隠滅するために放火して死体を焼いたという残忍なものである。
 この事件では、同時に、住居侵入・窃盗が3件、住居侵入・強盗致傷事件が1件、住居侵入・強盗致傷・強盗強姦・監禁・窃盗が1件、強盗致傷が1件、住居侵入・強盗強姦未遂が1件を含めた合計8件が併合審理されている。致傷を伴うものには、命に関わるような重篤なものもあった。被告人はこれだけの犯罪を、平成21年9月16日から11月13日までのわずか2か月足らずの間に犯している。しかも、被告人は昭和59年に強盗致傷、強盗強姦で懲役7年に処せられて服役し、さらに平成14年にも住居侵入、強盗致傷で再び懲役7年に処せられて服役し、その出所直後からまた途切れることなく犯罪を犯し続けたのである。

2、第1審の死刑判決と控訴審の無期懲役判決
 第1審の千葉地方裁判所は、約3週間にもわたって、裁判員と裁判官が審理を尽くし、死刑判決を言い渡した。判決は、犯行態様の悪質性、結果の重大性、松戸事件以外の事件の悪質性・重大性、被告人の反社会的な人格や反省しない態度等を丁寧に検討した上で、被害者が1名であること、計画性がないことが死刑を回避する決定的な事情にはならないとして結論を導いている。
 これに対し、東京高等裁判所は、殺害された被害者が1名の強盗殺人で、殺害行為に計画性がない場合は、死刑が選択されないのが過去の裁判例の傾向であるという理由だけで、第1審判決の刑の選択には誤りがあったと決めつけ、無期懲役を言い渡したのである。

3、裁判員裁判の軽視
 裁判員裁判は、これまでの刑事裁判が国民にとって理解しにくいものであった反省から、裁判官と裁判員の知識経験を生かしつつ一緒に判断することにより、より国民の理解しやすい裁判を実現することを目的に提案されたものである。一言で言うと、裁判の進め方や内容に、国民の視点や感覚、常識が反映されていくことになる結果、裁判全体に対する国民の理解が深まり、司法が、より身近なものとして信頼も一層高まることが期待されて導入されたのである。
制度が導入され、量刑にも裁判員が関与する結果、裁判官が長年蓄積してきた量刑相場とは異なった量刑相場が形成され、新たに形成される量刑相場が量刑基準として用いられることは必然である。新たな量刑相場が形成される過程では、従来の量刑相場と齟齬が生ずるおそれがあるが、国民の司法への信頼確保のためには、単に従来の量刑相場と齟齬があると言うだけでは不十分であり、国民を納得させるだけの合理的理由がなければ、裁判員裁判の結果を尊重しなければならないはずである。
 最高裁の補足意見でも、これまで控訴審の実務が、まず自らの心証を形成して1審と比較し、差があれば自らの心証を重視して変更する場合が多かったように思われるけれど、裁判員制度が始まった後は、そのような方法は改める必要があるとも述べている(平成24年2月13日最高裁判所第一小法廷判決)。

 今回の高裁判決が死刑を選択しなかった理由は「被害者が1名」と「計画性がない」という2点である。
第1審の裁判員裁判は、「死亡した被害者が1名」という点について、「被告人は、短期間に、松戸事件以外にも、強盗致傷や強盗強姦といった重大事案を複数回犯し、それら被害者らの中には死亡していてもおかしくないほどの重篤な傷害や、深刻な性的被害を受けた者がいる」こと、「計画性がない」という点について、「脅すための道具としてではあるが、ツールナイフや包丁といった刃物を使用して、一連の強盗事件を敢行しており、被告人の粗暴な性格傾向の著しさにもかんがみると、被害者の対応いかんなどによってはその生命身体に重篤な危害が及ぶ危険性がどの事件でも十分にあった」ことを理由とし、極刑を回避すべき決定的事情ではないと述べている。まさに国民の感覚に沿った極めて常識的で妥当な判断であろう。
 そもそも計画性を殊更に過大評価し、重要な量刑因子とすること自体に疑問がある。中には、計画性なくては目的を遂げられない犯罪もあるだろうが、本件の被告人のように、手あたり次第に住居侵入、窃盗、強盗、強姦、殺人、放火等を繰り返す犯罪者の存在は、一般国民にとって恐怖そのものである。それを、杓子定規に「計画性なし=刑が軽くなる事情」としてきたことが、国民の司法に対する信頼を失わせてきたのである。
また、今回のような高裁判決が言い渡された背景には、被害者の人数別に過去30年間の先例をまとめた司法研修所の報告書の存在があると指摘されている。しかし、この判決のように裁判官だけで蓄積された先例を重視することは、裁判員裁判で反映しようとした民意を無視するものである。さらに、本件は被害者参加がなされ、より一層国民の意思が反映された審理だったはずであり、被害者参加制度の趣旨も蔑ろにするものである。
そして、高裁判決は、「松戸事件が量刑判断の中心」と言いながら、松戸事件以外の本件各公訴事実をどのように量刑判断に反映させるのかについても全く判断を示さなかった。松戸事件以外の事件の被害者は無視されたのである。

4、終わりに
当フォーラムは、このような高裁判決は、国民の意思に反するもので、国民に対する裏切りに他ならないと考える。検察庁においては是非とも上告され、最高裁判所が常識的な判断を下すことを強く期待する。

以  上